37歳で管理職へと駆け上がっても続ける“徹底現場主義” 大手装置メーカー顧客の高シェアを維持し続ける営業所長
営業職3名、事務職1名の北陸営業所(金沢市)を所長として率いるのは、41歳の社員。
営業職3名、事務職1名の北陸営業所(金沢市)を所長として率いるのは、41歳の社員。入社以来、地元でもある北陸に根を張り営業職一筋で取り組むほか、所長を任された37歳以降は管理職としてマネジメントや人材育成も行っています。「社長にまで心配される社員だった」という新人社員時代から、自分なりの営業スタイルを見いだし管理職に駆け上がるまでを振り返ります。
営業本部
関東支社 北陸営業所所長
八百 弘一(やお・こういち)
2003年入社。高校卒業後いったん就職した後、大学に入学。卒業後に安川メカトレックに入社し、生まれ育った金沢市にある北陸営業所に配属され、2018年から同所長。食へのこだわりから、社内で「鉄板焼き同好会」を主宰している。
「喜ばれるために」知識とスキルを向上
――現在は北陸営業所長という管理職の立場ですが、そもそも入社のきっかけは。
八百
高校卒業後に一度働いた経験から、大学卒業時は自分の適性や向き不向きをよく考えていました。紹介もあって、営業職を志して安川メカトレックに飛び込みましたが、九州に比べると北陸地方では安川グループの知名度はそこまで高くなく、どんな客先がいるかも分からない状態。入社直後は「新規開拓なんてどうやってやるのか。無理じゃないか」というくらいのモチベーションでした。入社式の後、社長から当時の所長宛てに「八百は大丈夫か」と心配する電話が入ったほどでした。
――今の姿からは考えられない新人時代ですが、どのようにモチベーションを高めてきたんでしょうか。
八百
あまり社内でどう見られるかは気にしたことがなく、いかに客先と仲良くなり喜んでもらえるかというのを中心に動いてきました。そのためにはもちろん知識も必要ですが、扱う製品も幅広く、分からないことは分からないと言って持ち帰っていました。その際、おどおどしたり、固まったりしたら「こいつ大丈夫か?」と客先に不安を与えてしまう。分からないときは大きな声で「分かりません!」と言っていたら、年配のお客様からは逆に教えてもらったりすることもあり、一歩ずつ知識を付け、お客様にも育ててもらいました。
北陸営業所には技術職の社員がいません。本社と違い、技術職の社員がすぐ近くにいない分、まず客先の質問を理解して適切に伝えないといけません。当時は新幹線で金沢と東京が結ばれておらず、東京からの移動に6~7時間かかっていました。簡単な内容ですぐ来てもらうわけにいかず、内容がかなり煮詰まって高い技術が必要というタイミングで技術職の社員を呼んでいました。なので、営業所内でなんとか解決していき、その中で知識やスキルが上がっていきました。振り返ると、技術職を簡単に呼べないからこそ、色んなカテゴリーの製品知識を得ることができたのかもしれません。
八百
特に自分がやってきたのは人脈づくりです。何もなくても週3回、客先を訪問していました。関東の営業マンからしたら多いと思われると思います。大口顧客は部署が多岐にわたります。1日の訪問で話せるのは、購買と技術部門の数名のみにとどまります。なので、次の訪問では研究開発部門、次は生産現場・・・というように回っていきます。ほとんどの営業マンは購買部門を中心に回ると思いますが、そこだけでは情報を取り切れない。それくらいしないと高いシェアを維持できませんし、現在は、サーボ、コントローラ、インバータ、ロボットを納品している大口顧客もあります。シェアを取るのも大変ですが、シェアを維持していくのはそれ以上の苦労があります。新用途や社内設備への適用などをどんどん提案していますね。
自分のカラーを存分に出せる環境がある
――所長を打診された時のことは覚えていますか。所長就任後の苦労もあったのでしょうか。
八百
ある日、当時の所長と自分が関東支社長に呼ばれて面談をしました。自分が異動という話かと思ったのですが、所長が海外に転勤という打診でした。他の部署から新所長が来るのだと思い、「所長は誰がやるんですか?」と聞いたら、自分でした。戸惑いが大きかったのですが、「やれるだけやります。駄目だったらギブアップしますが、それまでやります」と返答したのを覚えています。 所長に就任した直後は、部門の管理や運用をどうやってやればいいのかも分からない。それまでマネジメント職を意識したこともありませんでした。当時は37歳で、管理職になった年齢は、歴代で2番目に若いと聞いています。正直に言うと、プレッシャーの方が大きかったですね。自分が営業担当している案件に加えて、管理業務が乗っかってきた状態なので、要領も良くなく毎日残業でした。相談したい前所長は海外に転勤してしまったため、気軽に聞くこともできません。振り返れば、所長になって1年は記憶がないくらい気が張っていました。
そしてようやく、「抜くところは抜かないといけない」と気づいたんです。自分が北陸営業所でやってきたのは人脈づくりです。業務を削るとしたら日常での客先訪問しかありませんが、訪問を減らすのは自分がやってきたことに反します。とはいえ、週3回の訪問を週2回にするなどしてもお客様との関係を維持できているのは、これまでの積み重ねがあったからだと思っています。
――人材育成で意識していることはありますか。また、安川メカトレックで働いてくれる人材には何を求めますか。
八百
人材育成はマネジメント業務の中でも苦労しています。新人が入れば、新入社員教育に時間を割かないといけないのは確かです。これまでも先輩の立場としての指導をしてきましたが、自分のやり方をそのまま教えたり、押しつけたりというのではなくて、部下には「考える力」を身につけてほしいと思っています。北陸営業所は扱う製品が幅広いため、オールマイティーな仕事になります。育成しても、異動で東京や名古屋に出てしまうケースもあるのですが、各地で活躍してくれています。歴代の所長含めて人材を育ててきた成果だと思っています。
管理職、特に中間管理職になりたくないという若手もいるかもしれませんね。言われたことをやらされているイメージが強いと推測します。いつまでに何をやれ、という指示が確かに上からどんどん飛んでくる。安川メカトレックは「作業者意識」が強い人は向いていないように思います。逆に、自分でプランを立てて行動に移せる人は後押しされます。自分のカラーを出して、自分が立てた計画で進めて、もし駄目でも次に生かすことができる土壌があります。前任者のやった通りでなく、自分なりに考えてやってみた結果、人脈や新規案件を得ることができます。
ですので、自分で考えて行動に移せる人が向いていると思いますし、上司に「チャレンジしていいですか」と相談しても「それは駄目」と言う人は非常に少ない。特に地方の営業所には自由度と裁量を与えられていると感じています。今は自分が所長ですが、いつか後任に交代したらまた新しいカラーになるでしょう。自分も管理職を目指していたわけではありませんが、上にいくと自由度と裁量をますます得ることができます。安川メカトレックには、自分のカラーを存分に出させてくれる環境があると思いますし、働き方にも色んなバリエーションがあります。
付加価値を持たせ、お客様を勝たせる手伝いを
――八百さんはマネジメント業務もしながら、客先への訪問も続けていますね。地方の営業拠点のやりがいを教えてください。
八百
コンペチタも攻勢を強めてきていますが、新機種採用のときに客先が真っ先に安川メカトレックを検討してくれるのがありがたいです。私の場合、クレームにも全力で対応します。クレームを発生させた場合、本来は顔を合わせづらく行きたくない場面なのですが、そういう時ほど早く駆けつけることで信頼を少しずつ得てきました。お客様との約束は必ず守ります。そして、管理職になった今も客先訪問を続けています。顔を忘れられてしまったらアウトで、他社にシェアを取られると思っています。 お客様の装置に付加価値をもたせる、お客様を勝たせることを目指して、今は装置メーカーのお客様と一緒に装置と人協働ロボットのパッケージングに取り組んでいます。高いシェアを誇っていても、プラスアルファの提案をしていかないと、現状維持で終わってしまいます。お客様に寄り添って良い関係をつくりあげ、お客様を勝たせる手伝いができます。これはやりがいであり、強みだと思っています。